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  • 執筆者の写真坂本 慎一

『青天を衝け』第34回

渋沢栄一が岩崎弥太郎とひと騒ぎありました。これは、後年の栄一が何度も語っている逸話です。岩崎はこの後、さらに巨万の富を得て、三菱財閥を形成したことは、ご存じのとおりです。終戦後の財閥解体の時点で、渋沢家とはケタが二つ違うくらいの資産を築きました。

私の大学時代の恩師は、この岩崎家の故・岩崎英二郎先生でした。先生は、戦争が終わって平民になって、電車とは切符を買って乗るものだと初めて知ったと言われていました。戦前は特権階級ですから、切符など買わずに特別車両で移動していたそうです。財閥とは、単にお金があるだけではなく、今の時代では想像がつかないほど、さまざまな特権があったようです。

また、妻の千代が、東京養育院(現・東京都健康長寿医療センター)の運営に関わるようになりました。栄一の事業にはほとんど関与しなかった千代ですが、この東京養育院だけは手伝ったと、娘の「うた」が『はゝその落葉』という本に書いています。

「うた」はこの本で昔の渋沢家のことを書いています。その中で、栄一と「うた」で記憶が食い違っていることもあります。今のところドラマでは「うた」の記憶が優先されているようです。女性による記憶をもとに、女性脚本家の大森先生が台本を書いています。年末の紅白歌合戦が始まる前に、大河ドラマでは紅組が優勢です。

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