渋沢栄一が、91歳で亡くなりました。前年の大河ドラマの明智光秀は「実は戦死しなかったのかもしれません……」という終わり方でしたが、栄一はハッキリ死んで終わりました。
この後のことを補足しますと、太平洋戦争で敗北し、日本は財閥を解体することになります。この担当となったのが孫の渋沢敬三です。敬三は自分の家だけ例外にするわけにはいかず、渋沢家も財閥として解体されました。
栄一の家に住み込んでいた書生の団体は、やがて竜門社となり、1982年に付属の施設として渋沢史料館が開館します。渋沢栄一生誕150年の1990年に研究紀要の『渋沢研究』が渋沢史料館から発行され、本格的な渋沢栄一研究がスタートしました。と言っても、最初のころの『渋沢研究』は、全然渋沢栄一について書いていない論文が大半を占めていたような状態でした。題名に「渋沢栄一」が入っている世界で最初の博士論文を私が提出したのが2000年です。
大河ドラマに合わせて書いてきたこのブログも、まだ年明けの総集編の放送が残っておりますが、今回で店じまいにしたいと思います。毎週日曜の夜に、ひと仕事するのは思いのほかしんどいと身に染みてよく分かり、私も一つ賢くなりました。
大河ドラマは、近年まれに見る高い視聴率で、渋沢栄一もあの世で喜んでいることでしょう。最後に渋沢栄一本人に、何かひと言、ドラマについて語ってもらったら何と言うでしょうか。「いや、ドラマは良かったが、今のみずほ銀行が・・・」と言いそうなので、本人のコメントはNGにして終わりたいと思います。これまで、ありがとうございました。
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