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​「素直な心」研究会

松下幸之助の遺した思想・哲学は、時代や国、業種・業態を超えて、多くの人々の生き方・働き方にプラスの影響を与える普遍的な真理です。しかし、表現が抽象的なため、一部の有識者を除く一般の人々には、その真意が理解されにくく、また、具体的実行方法が示されていないので、実践につなげにくい面があります。

そこで、改めて幸之助の思想・哲学を再解釈し(まずは素直な心)、現代の社会情勢を考慮しながらその本質を明らかにすると同時に、その境地に近づくための方法論を導き出すことを目的として議論します。

<コアメンバー>(敬称略)

田村 潤(元キリンビール副社長)

川野 泰周(林香寺住職、精神科医)

渡邊 祐介(PHP理念経営研究センター代表)

川上 恒雄(PHP理念経営研究センター首席研究員)

的場 正晃(PHP理念経営研究センター主席研究員)

関連文献

「素直な心」を現代的に再解釈

『[実践]理念経営Labo』2022 SPRING 4-6(Vol.1)

素直な心研究会見開き.png

どうすれば素直な心になれるか

『[実践]理念経営Labo』2023 SUMMER 7-9(Vol.6)

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​開催情報

2022年2月9日(水)オンライン開催

​第5回「素直な心」研究会

プロジェクトで一緒に働く

2021年12月2日(木)オンライン開催

第4回「素直な心」研究会

「松下幸之助の『素直な心』」
岩井虔
(PHP研究所客員)

28年間、松下幸之助から直接薫陶を受けた岩井虔氏をゲストにお呼びし、松下幸之助が「素直な心」に取り組んできたリアルな姿をお話しいただきました。

願い事をする子供たち

2021年10月7日(木)オンライン開催

第3回「素直な心」研究会

「主体的に行動する『最初の一人』を
どう育てるか」
田村潤氏
(元キリンビール株式会社代表取締役副社長、
100年プランニング代表)


2009年キリンビールのシェアの首位奪還を果した田村氏が、現場の経験をもとに「素直な心」とマインドフルネスの意義についてお話しいただきました。​

【第一部 基調講演】 私がキリンビールで何をやってきたかを一言でいうと、「利益の数値を目標にする経営」から「理念の実現を目的とする経営」に変えたことです。企業理念はどの企業にもあり、お客様のために、日本のためにという社会性のあるものです。そこに集中する経営にシフトしました。すると、「お客様のために」が理念だとすると、実際のお客様には様々な方がおられるので、社員たちは自分たちで考え主体的に行動することが求められます。そこに自主自立の文化できてきました。お客様に喜ばれることを実行していくと、自然と業績が上がっていきました。 多くの会社でこれが難しいのは、会社のオペレーションが機械的だからです。一番上位の目的は利益追求で、それを示さないと投資家は納得しません。それが各セクションに数字で下りてきます。社員は給料をもらうために会社に行くので、与えられた目標を一所懸命にやる。これが社内文化として根付いてしまっています。だから、なかなか「お客様に喜んでもらうために自分たちで考えて主体的に行動する」ことができません。 私が高知支店長になった時に、松下幸之助さんのいう「素直な心」、つまり私心にとらわれない、実相が見える心になったことを実感しました。 川野先生から「マインドフルネスは実行が大切」というお話がありましたが、高知支店は追いこまれていたので、行動するしかありませんでした。理念を理解しているから実行できるのではなくて、行動を通して理念が自分のものになっていきました。理念が自分のものになると嬉しいから、お客様に喜んでもらおうとどんどん行動します。すると、さらに理念が強化され、現場力が高まっていきました。集団が変わると全員が素直な心になります。重要なのは、「最初の一人」をどうやってつくるかです。これが、今の私の大きな関心事です。 「最初の一人」は、自分が行動する勇気が求められます。マインドフルネスには「自分を大事にする」という概念がありますが、これが重要だと思いました。自己肯定感、つまり自信がないとお客様に喜んでもらう行動は取れません。 会社と個人の目的は異なっています。個人は、チームやお客様から認められたい、尊敬されたい、それを喜びと感じています。一方、会社は業績追求。これがないと会社は存続できません。この異なった2つの目的が、「社会のために役に立つ」という企業理念によって完全に統合されます。肝腎なのは、個人が会社の理念を「自分が実現するんだ」という勇気を持つことです。理念を自分が実現すると勇気を持った人が一人出てくると、集団は変わってきます。その一人をどうやって作るかをみなさんと議論できればと思います。

【第2部 ディスカッション】 田村氏の発表をもとに、企業経営におけるマインドフルネスの意義について、研究会メンバーでディスカッションを行ないました。(※敬称略) ■瞑想で養う自己肯定感 田村 川野先生が紹介されているマインドフルネスに「慈悲と願いの瞑想」がありますが、これをやることで自分への信頼=セルフリライアンスが出てきて、お客様のために行動しようとなってくるのではないかと仮説を立てましたが、どうお考えでしょうか? 川野 おっしゃる通りだと思います。「慈悲と願いの瞑想」を通して、「自分の存在を肯定すること」と「他者を重んじること」が両立できます。それは私の体験でも実感していますが、今は科学的なエビデンスでも証明されています。 田村 他に、「呼吸瞑想」「ボディスキャン瞑想」がありますが、「慈悲の瞑想」だけでいいのでしょうか? 川野 「慈悲の瞑想」の中に「呼吸瞑想」が入っているので、これだけで十分です。ただ自己肯定感や自慈心(自分を慈しむ心)が足りていない人は、「慈悲の瞑想」をやると苦しくなってしまう場合があります。なぜかというと、大切な人に対して思いやりの言葉を念じることはできても、自分に対してはそんな言葉を受け取ってはいけないと思って混乱状態になるからです。そういう時は、「呼吸瞑想」にも自己肯定感を高める要素が盛り込まれているので、そちらを優先するのがよいです。 田村 私は講演会などで「利他」の大切さを話しても、「理屈は分かるが、なんで自分が行動しなくてはいけないんだ」と言われることがあります。すると、やはりそれを実行する勇気の問題だし、それができないのは自分に自信がないからではないでしょうか。 的場 人が動くかどうかは、「自分ごと化」できるかどうかだと思います。会社の理念を実践するのが、私の生まれてきた使命でもあるというくらいまで「自分ごと化」できていれば、放っておいてもやります。しかし、そこまでいくのはなかなか難しい。 田村 キリンの場合は、運命を受け入れるということをやりました。高知支店は最悪の状態に陥っていましたが、その原因は本社にある。だから、「本社が悪い」で終わっていました。ただ、よく考えるとキリンにもいいところはあります。いいものも悪いものも、高知支店では全部受け入れようと覚悟しました。その上で闘おうと。そこから勇気が出てきました。 どんな会社でも、いい部分も悪い部分もあります。それらをすべて受け入れた上で、自分がこの会社の理念を実現しようと、心のポジションを置き換えれば、アイデアとかやる気が湧いてきます。 川野 人には、自分の価値観に照らし合わせて考えてしまう、我執というものがあります。私の経験では、それを取り去る上で重要なのが、まず行動することでした。前回の私の講義でご紹介した「行入」、つまり修行から入るということをやりました。修行の中で、我執が見えると怒られるとか、警策で叩かれるという形で、我執を捨てるしかないところまで追い込まれます。その結果、集団全体に貢献できるところに喜びを感じられるようになりました。 マインドフルネスでは、「我執を手放す」とか、「自分の存在を小さくしていく」といいます。瞑想を日々、練習していると、自分に対するこだわりがどんどん取れていって、組織、社会、大自然、そういうもののために自分が役立っていることに喜びを感じることができます。それを今の世の中でどういうふうに形にしていくか、この研究会で考えていきたいです。 田村 仕事で数字を目標にしてしまうと夢中になれませんが、誰かのために役に立っていると実感できると、いくらでも頑張れます。先ほど、「自分が小さくなる」とありましたが、それを実感しました。いろんな人から、「あなたの会社は邪心がない集団ですね」とよく言われましたが、そういう人間が集まったからでありません。平凡なサラリーマンだが、行動することで座禅と同じ効果が出てきました。ここも「最初の一人」が肝腎です。 川野 私は2つあると考えています。一つは感謝される体験が、その人の心の中に新しい価値観を呼び覚ますということ。いい企業に入ろうと自分のために頑張ってきた新社会人が手放しの感謝を受けた瞬間に、純粋に嬉しいという感覚にシフトするきっかけになります。 もう一つは、もうがむしゃらにやるしかないんだという窮地を体験した人は、すごく俯瞰的に物事を見られます。 ■瞑想が主体性を育てるプロセス 的場 理念経営には主体的に動く人材が必要であり、その人材をどうつくるかはどの企業も大きな課題です。前回、川野先生から、瞑想を続けていくと主体的になっていくというお話がありましたが、それはどういうロジックなのでしょうか? 川野 まず瞑想していくと、雑念だらけになってうまく集中できません。それで自分のダメさ加減が浮き彫りになってきます。その時に、良き指導者から「うまく瞑想しようとしないことが大事なんだよ」とアドバイスを受けることで、瞑想自体がうまくできない自分自身を受け入れるトレーニングなんだと気づいてきて、自分の存在自体を受容できるようになっていきます。自己受容ができれば、自然に他者貢献ができるようになります。これはアドラーやマインドフルネスのコンパッション理論でも言われていますが、自分が自分の存在を受け入れられて初めて人に何かを施したくなる心の働きです。 人が主体的に動けなくなる原因は、失敗したり他者から評価されなかったり、自分の頑張りが報われなかったりした時の傷つきを恐れているのではないかと思います。いろんなことに臆病になった結果、動かないで見ているのが一番いいということになります。 田村 最初は売上を上げようと思って見返りを求めていたけれど、見返りを求める喜びよりも感謝される喜びの方が圧倒的に大きかったのでしょう。だから、すぐに見返りとか数字を求めなくなりました。 人間は、うまいものを食いたいとか給料をもらいたいというよりも、もっと次元の高いもの、人の役に立っていることの方が奮い立ちます。松下幸之助さんがつくった松下電器の「遵奉すべき精神」が7項目ありますが、その中でも「産業報国の精神」と「力闘向上の精神」が重要だと思いました。「産業報国の精神」は社会のため、日本のためということ。「力闘向上の精神」には、「我ら使命の達成には、徹底的力闘こそ唯一の要諦にして……」と、使命達成のための唯一の要諦と説明してあります。つまり、社会のために徹底して戦っていく、これが松下幸之助の精神ではないかと思いました。 企業は理念という「善なるもの」に向かっていく、そこにマインドフルネスが重要な役割を果たすことができるのではないでしょうか。 渡邊 企業理念は、売上を上げるための一つの方便ではないか、という変な理解があるのだと思います。 田村 最初は売らんがためであったのは事実です。しかし、2、3か月すると、行動によって変わっていきました。売上よりも大事なものがあると体で分かったのです。 川上 理念とシンクロする瞬間というのがあるのでしょう。それは素直とは違って、フローの状態、無我夢中でしょうね。相手に喜んでもらえることで、それだけで嬉しいから、苦しさも乗り越えてどんなことでも頑張ってやれる境地だと思いました。 与え続ける喜びというのはカトリックにもあって、有名なフランチェスコは貧しい暮らしの中でもどんどん与え続けていきましたが、そこに人生の美しさを多くの人が見い出しています。 ■アウェアネス(気づき)とアクセプタンス(受容)の関係性 的場 川野先生の先ほどのお話で、瞑想すると自分のダメさ加減が分かってきて、良き指導者からアドバイスをもらう中で自己受容が進むとありましたが、それがセルフアウェアネスの促進に繋がっていくのでしょうか? 川野 細かく気づく繊細さはアウェアネスだが、アウェアネスだけが上がると、「繊細さん」と言われるHSP(Highly Sensitive Person)、過敏な人になってしまいます。そこにセルフアクセプタンスが加わるので、「細やかに気づくけれども、それをどっしりと受けとめられる」という心理ができて、セルフアクセプタンスが先に進む。すると、人に対するアクセプタンスも進みます。 田村 たくさんの学びを得ることができ、ありがとうございました。企業理念が自分のものになって一体化してくると、邪心がなくなって本質を見ることができるようになります。そのプロセスの中で素直な心が出てくるのではないかと思いました。そのためには、まず自分が行動するという自信、チャレンジする勇気がないと行動に移せません。マインドフルネス瞑想を通して、自分への自信を養成していって、理念に向かわせ、理念と一体化するようになっていく。そのプロセスの中で物事を素直に見られるようになってくる、という構図ではないかと思いました。実際の会社の事例で実証できればと思います。

ビジネスミーティング

2021年8月5日(木)オンライン開催

第2回「素直な心」研究会
 
「マインドフルネスの世界」
川野泰周氏

(林香寺住職、精神科医)

川野氏から、精神医学と禅の世界がどのように和合してマインドフルネスが生まれたのか、また「素直な心」とどのように関係するのか、お話しいただきました。

マインドフルネスは、アメリカのある医学部教授が禅僧について学んだ禅を、心と体の治療に応用することをきっかけに生まれました。マインドフルネスの定義は、「今この瞬間の体験に注意を向け、評価をせず、とらわれのない状態で観ること」です。 マインドフルネスの2大要素がアウェアネス(awareness)とアクセプタンス(acceptance)です。アウェアネスとは、自分の中に入力される情報にこまやかに気づく観察力を磨くこと、アクセプタンスとは、得た情報に対して善し悪しの判断をはさまず、一旦受けいれてみる心の広さをいいます。つまり、マインドフルネスとはアウェアネスとアクセプタンスを兼ね備えた心の姿勢です。 マインドフルネスの起源は、お釈迦さんの覚りにまで遡ります。生老病死という個人的な苦しみから逃れるために、行きついたのがマインドフルネス瞑想でした。6年間の苦行の結果、自分に心地よい状態をつくらなければ何も為すことはできない、自分に対する慈悲(自慈心)が大事だと気づきます。これをアメリカの研究者たちは、人間が幸せに生きていくための心の能力として重要視し、「セルフ・コンパッション(self-compassion)」と名付けました。 マインドフルネスで大切なのは、生活の中で動作一つひとつに意識を集中して、受け容れる心をもって丁寧にやっていくことです。一挙手一投足に集中するためには、今この瞬間だけに意識を向けなればいけません。これが「素直な心」と通じるのではないかと考えます。瞑想する目的は、生活すべてが瞑想になり習慣化することです。松下幸之助の「素直な心になる」ということも、「素直な心を一生携えて生きていきましょう」ということだと思います。 「素直な心」で生きていくためには、日々の習慣を変えていく。そのためには「行入」を大事にします。達磨大師の言葉に、「二入四行論」があります。修行の入り方には2種類あり、理屈から入るか、行動から入るかの違いです。お釈迦様は、理屈から入るのも大事だが、毎日の行動、修行、瞑想という行いから心を定めていくという側面を忘れてはいけないと説きました。 マインドフルネスのお話を通じて感じる「素直な心」は、まず自分に対して突き詰めて考え、そして瞑想を実践して自分の心をクリアにしていく。気づきと受容を得ていく中で、自らに慈しみの心を向けられるようになる。すると、他人にも素直に何かをしてあげたいという心が起こってくる。そんな心をみんなが持てるようになれば、お互いを思いやる世界ができてくるのではないでしょうか。それを大乗仏教の世界では、「自利利他円満」といいます。この「自利利他円満」こそがマインドフルネスの本質であり、松下幸之助の「素直な心」と同じではないかと思います。

自然

2021年6月14日(月)オンライン開催

第1回「素直な心」研究会

「松下幸之助の考えた素直な心」
川上恒雄
(PHP理念経営研究センター首席研究員)

当研究センターの川上から、松下幸之助の「素直な心」についてご紹介しました。

松下幸之助の「素直な心」を理解するには、宗教的な側面も考える必要があります。著書『素直な心になるために』には、「素直な心」の内容について10項目を挙げていますが、ここでは「私心にとらわれず実相を見極める」と定義しました。 松下の世界の認識の仕方は、「本来」と「現実」の2つに分けていたと考えます。「本来」の姿とは、宇宙根源の力から真理(=自然の理法)が生み出され、自然の理法が働いて宇宙ができ、私たち人間もそこから生まれます。自然の理法が働くことで、繁栄・平和・幸福の実現がもたらされます。そのためには、人間が「素直な心」になってものごとの実相をつかむことが必要不可欠です。「素直な心」になることで、企業活動や労働において宇宙根源の力から与えられているそれぞれの個性を活かし、繁栄・平和・幸福を実現することができます。これが「本来」の姿です。 しかし松下は、現実ではそのようになっていないと考えます。人間は高等な動物であるにもかかわらず、戦争のようにお互いに争ったりひどいことを平気でしたりしています。物質と精神の不調和が生まれると、人間は利害得失ばかりを考えるようになり、貧困、争い、不幸を生じさせると、松下は考えました。それを解決しようと打ち出したのが「水道哲学」でした。 では、どうすれば素直な心になれるのでしょうか。一つは「一万回願うこと」、もう一つは「自己観照」です。自己観照することによって素直な心になれるし、また素直な心になって自己観照をすることができます。こうしたサイクルを繰り返すことで、偏見とか思い込みを排除することができます。 「素直な心」になることは難しいですが、「素直になろう」と思うことは誰にでもできます。このように、普遍的な内容を持って、全ての人が取り組めるという点でも重要なテーマです。松下は「素直な心」を目指す人が増えれば社会が良くなり、戦争や貧困がなくなると考え、多くの人に呼びかけました。

リトルボーイウォーキング
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