最近、大河ドラマの話になると、「ここ数回で、がぜん面白くなってきたね、坂本さん!」と非常に褒められます。褒められて嬉しいのですが、私はドラマの制作には一つもかかわっておりません。そう説明しているのに、「いや、渋沢栄一は坂本さんが開拓した分野だから」と強引に褒められます。国会図書館に所蔵している博士論文で、題名に「渋沢栄一」が入っている一番古い論文は、私の論文だと知人に教えてもらいました。
さて、今回は渋沢が関東で人集めを終えました。故郷の近くで妻や子供とコッソリ会ったことは、後年本人が語っています。父とも会っていますが、ドラマではカットでした。また、ドラマでは尾高淳忠が保釈されていましたが、本当はこの時、高崎城乗っ取りのテロ未遂(第11回放送)で拘束されたままです。栄一と喜作(篤太夫と成一郎)も岡部藩内では、まだ指名手配中なのに、そこを通過していくのですから、2人ともキモがすわっています。
2人が京都を留守にしている間に、禁門の変(蛤御門の変)が起きました。私は学生時代に京都御所の南に下宿していましたが、そこの大家さんが「この辺一帯は蛤御門の変で焼かれた」と、数年前の出来事のような言い方で教えてくださいました。約3万戸が焼失し、死者は分かっているだけでも300人以上と言われています。それほどの戦乱から、2人はたまたま関東へ疎開していた形になったのです。
後に栄一は、フランスに行っている間に戊辰戦争が起きます。どこか遠い所へ行くと内戦が起きて、本人は無事、ということが2回もありました。歴史上の巨人は、とにかく強運の持ち主です。もし栄一がサマージャンボを買ったら、一発で1等を当てたでしょう。
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