『青天を衝け』第41回(最終回)

渋沢栄一が、91歳で亡くなりました。前年の大河ドラマの明智光秀は「実は戦死しなかったのかもしれません……」という終わり方でしたが、栄一はハッキリ死んで終わりました。 この後のことを補足しますと、太平洋戦争で敗北し、日本は財閥を解体することになります。この担当となったのが孫の...

『青天を衝け』第40回

渋沢栄一が実業界を引退し、民間外交に精力を注ぎ始めました。大国間の戦争が当たり前の時代において、アメリカとの融和に努めた栄一は、ノーベル平和賞の候補に2度あがったということです。 渋沢栄一についての研究は、1990年から本格的に始まり、当初は晩年の民間外交に関する研究が大き...

『青天を衝け』第39回

渋沢栄一は、日露戦争の時にインフルエンザが悪化して大病になりました。ドラマでもあった通り、ほとんど死にかけた、といっていい状態でした。栄一は、日清戦争の時も皮膚がんを患っており、国家が戦争の時に大病する人でした。最後は満州事変の年に亡くなっています。...

『青天を衝け』第38回

渋沢栄一が、水道管に関する事業で暴漢に襲われるシーンがありました。ドラマでは実行犯が老人のような人でしたが、実際は青年です。しばらくのち、栄一は暴漢の青年の就職の世話までしてあげています。すっかり心を入れ替えた青年は、「実は、私たちを雇ったのは……」と言いかけると、栄一は「...

『青天を衝け』第37回

今回は、渋沢栄一が岩崎と激しく対立しました。栄一はあまりに腹が立ったので、伊藤博文に岩崎の悪口をまくし立てたら、たしなめられたと後に語っています。『渋沢栄一一日一訓』から一言引きます。 「親切を基本として与えられた忠告は、終生忘れることのできないものである」(18ページ)...

『青天を衝け』第36回

渋沢栄一の妻の千代が、流行り病で亡くなりました。コロナ禍にあって、タイムリーな話材でもあると思います。当時は郊外であった飛鳥山に家を建てたのも、都心は病気が流行しやすいので、それを避けるためでした。しかしその甲斐なく、千代はコレラに感染して亡くなってしまいました。...

『青天を衝け』第35回

渋沢栄一たちが、グラント将軍の来日に際して、盛大な歓迎を行ないました。アメリカの公人を私邸に招いて「おもてなし」をしたのは、これが最初と言われています。しかし、このできごとを大河ドラマで大きく扱うとは予想外でした。この接待は私企業の営利事業ではなかったので、公共放送という立...

『青天を衝け』第34回

渋沢栄一が岩崎弥太郎とひと騒ぎありました。これは、後年の栄一が何度も語っている逸話です。岩崎はこの後、さらに巨万の富を得て、三菱財閥を形成したことは、ご存じのとおりです。終戦後の財閥解体の時点で、渋沢家とはケタが二つ違うくらいの資産を築きました。...

『青天を衝け』第33回

渋沢栄一が銀行家として活躍していくに当って、『論語』を座右の書としました。『論語』は歴史上の様々な日中の儒学者が注釈をつけており、注釈者によって解釈が異なります。実際に栄一が手元に置いていたのは、朱子注釈の『論語』だったそうです。当時一番広く読まれていたオーソドックスなもの...

『青天を衝け』第32回

渋沢栄一が、いよいよ実業家として活動を開始することになりました。33歳の時です。当時の33歳ですから、今の感覚ですと45歳くらいでしょうか。「青年実業家」という年齢は、とうに過ぎていました。吉沢さんが若々しいので、渋沢も若いままのように見えますが、当時としては、もういい歳で...

『青天を衝け』第31回

栄一が、いよいよ官僚を辞めるハラを決めました。ドラマではもう少し官僚時代を長く描くのかと思っておりましたが、やはりこの後の実業家時代を少し長めに描く予定のようです。 これは来週の放送に該当するのでしょうが、官僚を辞める際に栄一は次のように言いました。...

『青天を衝け』第30回

渋沢栄一の父の市郎右衛門が亡くなりました。父の死去について、後年の栄一は詳しく回顧しています。栄一は家をつがなかったので、終生自分のことを親不孝だと言っていました。しかし栄一は、歴史に名を残すほどの巨人になり、父のことも、こうしてドラマで再現されて全国に存在が知られているわ...

『青天を衝け』第29回

渋沢栄一が明治新政府の官僚として働き始めました。石丸幹二さん演じる大久保利通と、さっそく衝突しています。大久保のことはどうにも「腹の虫が好かぬ」と言っていて、後年にいたるまで、良い感情を持っていません。大久保も長生きすれば和解する機会があったかもしれませんが、暗殺されてしま...

『青天を衝け』第28回

渋沢栄一(篤太夫)が大隈重信と面会しました。大隈が八百万の神を例に出して、さすがの栄一も説得されてしまったことは、後に本人が語っています。ドラマではちょっとコミカルな大隈でした。 その後もしばしば大隈とは交流があり、大正10(1921)年10月、アメリカとの融和に尽力する栄...

『青天を衝け』第27回

渋沢栄一が駿河(現・静岡県)にやってきました。株式会社に似た商法会所を設立し、実業家に近い活動を始めました。商法会所について、後の栄一は謙遜もあって、「今から考えると笑うべきもの」と述べています。どこを笑うのか、笑いどころが読めませんが、後の近代的な株式会社に比べれば、初歩...

『青天を衝け』第26回

今回は、渋沢栄一(篤太夫)が故郷の血洗島に帰ってきました。本人によれば、まずその前に父が江戸まで来て、先に再会したとのことです。その様子は詳しく書いており、その後に帰郷したことは、わずかの記述です。 基本的に後年の栄一は、父親との会話や再会などは詳しく述べていて、妻や子供と...

『青天を衝け』第25回

渋沢栄一(篤太夫)がフランスから日本に帰国しました。彼は帰国した際の心境について、「海外万里の国々は巡回したというものの、何一つ学び得たこともなく、空しく目的を失うて帰国したまでの事である」と書いています。この言い方は、何度もしているので、彼の帰国時の心境をよく表しているで...

『青天を衝け』第24回

渋沢栄一(篤太夫)がパリで大政奉還と戊辰戦争勃発の報を聞きました。後年の本人の回想では、昭武一行は皆驚いていたが自分一人はあらかじめ予想していたので落ち着いていたと言っています。これは本当にそうだったのか、第三者の記述がないので、実際のところは分かりません。ドラマでは、栄一...

『青天を衝け』総集編

8日未明(7日深夜)に総集編が放送されました。血洗島編の12回分と、幕末京都編9回分がそれぞれ45分にまとめられました。第22、23回は、再放送で、15日放送の第24回へつながる形に配慮されたようです。 栄一と千代の話の部分はほとんど架空ですが、こうした架空の部分と、安政の...

『青天を衝け』第23回

渋沢栄一(篤太夫)がパリに滞在した日々が描かれました。後年の栄一はパリ滞在について、前半はヒマだったのでフランス語の勉強をして、身振り手振りを交えてどうにか一人で買い物する程度には会話ができるようになったと言っています。後半はお付きの人数を減らしたために非常に忙しくなって、...