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  • 執筆者の写真坂本 慎一

『青天を衝け』第40回

渋沢栄一が実業界を引退し、民間外交に精力を注ぎ始めました。大国間の戦争が当たり前の時代において、アメリカとの融和に努めた栄一は、ノーベル平和賞の候補に2度あがったということです。

渋沢栄一についての研究は、1990年から本格的に始まり、当初は晩年の民間外交に関する研究が大きな比重を占めていました。私のように「実業家・渋沢栄一」という観点で研究していた人は、少数派でした。ですので、「渋沢栄一の民間外交」と聞くと、懐かしいような、これを倒さないと私の道が開けない、と闘志がみなぎるような、妙な気持になります。

栄一がアメリカに渡ると、あるアメリカ人が「アメリカで一番の美人を紹介しよう」と言うから誰が出てくるのかと思えば、「私の妻だ」と紹介されました。「アメリカ人はガサツだ」と栄一は不快に思っており、アメリカン・ジョークは笑えなかったようです。いろいろな施設を見学するたびに「この施設は世界一だ」と、アメリカではやたらと「世界一」を聞かされたので、「世界一の精神病院」を紹介された時、「アメリカでは世界一、精神病の患者がいるのか」と栄一はあげ足を取りました。

という具合に、「渋沢栄一の民間外交」と聞くと、論文に書けないようなネタをいくつも思い出してしまいます。やっぱり、こんなことばかり書いていたら、博士号は取得できなかったでしょう。

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