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  • 執筆者の写真坂本 慎一

『青天を衝け』第19回

今週は渋沢栄一(篤太夫)が、藩札の発行など、一橋家の財政改革を行ないました。これについて、後年の栄一は改革の方向性を決めただけで任を離れたような言い方をしています。彼の経済観からすれば、すぐに成果が出たとは思っていなかったのでしょう。栄一の経済観とは、たとえば『渋沢栄一一日一訓』の次の言葉などは象徴的です。

世の中の事業は、決して一人の力だけでできるものではない。まず必ずこれを導く人がいる。そしてやり遂げる人がいるのであって、初めてここに事業が成立するのである。(33ページ)

一人の改革で一気にゴールまで行ける、というのは栄一の経済観ではありません。あくまでバトンを渡しながら進めるのが栄一のスタイルです。電光石火の早業、というのは、彼のとる方法ではありません。

しかしそれでも、この改革が急すぎると考え、栄一のことをよく思わない人も一橋家家臣の中にはいたようです。結局は、それほど問題にはならなかったのですが、栄一はこのように、人の陰口をよく覚えております。

栄一のやり方ですら急すぎると考える武士もいたのですから、逆に言うと、この幕末期に、いかに武士たちに危機感がなかったかを象徴している、と言えるかもしれません。後に大政奉還になったとき、武士たちの態度から考えて、幕藩体制が崩壊するのも不思議はない、と栄一は考えていたと言っています。人の陰口をよく覚えていたのは、実は根に持つ根暗なタイプ、ということではないようです。

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