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  • 執筆者の写真坂本 慎一

『青天を衝け』第15回

更新日:2021年6月21日

渋沢栄一が薩摩の家来であった折田要蔵のところへ、スパイとして潜入しました。後年の栄一は、このことを詳しく述べています。新参者だったのに、この役割に抜擢されたことを誇りに思っていたようです。『渋沢栄一一日一訓』の次の言葉を思い出します。

昔から偉い人はみな、よく人を引き立てている。そうでなければ、とうてい自分も偉くなれるものではない(130ページ)

自分がしてもらって嬉しかった「引き立て」を、後年の栄一は多くの人に対して行ないました。結果として彼は、多くの仕事ができたのでしょう。

ドラマでは西郷隆盛と仲良くなるところまで描写されました。西郷に豚なべをごちそうになったのは、本当は京都での出来事ですが、ドラマでは大阪でごちそうになりました。栄一が明治新政府の官僚になってからも、西郷とは面会する機会があり、後年には『渋沢栄一自叙伝』で「今でも瞑目すると大西郷の風姿、言動などがありありと私の眼底に残っている」と述べました。同じ薩摩藩でも大久保利通のことは「虫が好かぬ」と言っていたのと対照的です。

また、ドラマでは省略されていましたが、栄一は江戸に留学していた時に薩摩出身の人と仲良くなって、薩摩の言葉を覚えたと言っています。そのためにここで、薩摩藩に潜入できたのでした。

幕末の京都には各地方から、互いに言葉が通じない人が集まっていました。彼らの共通言語は漢詩と漢文です。コミュニケーション不足を補うため、話しながら筆を走らせるのです。そこをドラマで、もし忠実に再現したら・・・やたらと間の長い演技になってしまいます。

後年の栄一が書道を趣味にし、多くの書を残したのも、若き日の筆談のノスタルジアがあったのかもしれません。

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